俺は、「謝りは誤り」だと思っている。
というのも、悪いことをしてその場で即座に謝るのならばまだしも、時間が経ってから「謝罪」をしたところで、むしろ両者の関係が気まずくなるだけであるからだ。
・・・俺は、過去はもちろんであるが、現在会っている中でも、申し訳無いことをしてしまったと思っている人が多数存在する。道理で考えれば、そういう人には謝罪をしなければならない。俺は、「これこれこういうことで、あなたを傷付けてしまってごめんなさい」と、許しを請わなければいけない身分なのだ。
――しかし俺は、そういった人たちに対して、何も謝罪の言葉を掛けることができない。謝ったところで、もし相手が覚えていなかったら不愉快なことを思い出させる原因になってしまうし、覚えていたら覚えていたで「いや、もう気にしてないですよ」などという言葉を求める露骨な誘導尋問になってしまうし・・・。
これは恐らく、自分自身の性格的な問題を正当化しているだけであろう。要は、俺は「申し訳無い」と思っていても、素直に謝ることができない人種なのである。
しかし、そういう"申し訳無い気持ち"というものは、自然と相手に伝わるものらしくて。
なんだかよく分からないのだけど、俺が「傷付けてしまった」と思っている人でさえも、今では俺に良くしてくれるのだ。相手の気持ちも考えずにぶつかっていったり、ショックを受けていると知っていて笑い話にしてしまったり、これ以上無いほど醜い嫉妬心を見せ付けたりしたのに、今では普通に俺と仲良くしてくれる。名前を呼べば答えてくれるし、面白いことを言ったらゲラゲラと笑ってくれる。俺を、「仲間」と認めてくれる。
・・・そういう人たちを見ると、やはり俺は「謝りは誤り」だったと強く思うのだ。きっとお互いに、過去の辛い経験は覚えている。だってそれは、そんな簡単に忘れられるようなことではないから。けれども、それよりはむしろ、二人の新しい関係に期待していきたい。一度は仲が良かったのだから、お互いに心の擦れ違いがあって疎遠になってしまったとしても、きっとまた一緒に過ごせる。辛いことは忘れて、共に笑って生きていける。"普通に"、仲良くしていける。
――まったく。未熟で人を傷付けてばかりの俺だけど、それでも「期待」を寄せてくれる人が居るのだ。だったら、謝罪なんてしている場合じゃない。「もう怒ってないよ」と相手からそれとなく伝えてもらえたのだから、俺は「ありがとう」とそれとなく伝えるだけのことである。「謝罪」なんかよりも、それが一番の償いとなると信じて。ひょっとしたら一方的な感情かもしれないけど、いつかのように仲良く過ごせることを、これ以上無いほどの幸せに思って。
大体。
国際関係において、何かにつけて「謝罪」と言っている国と、それに対してペコペコしている国が、真の意味で仲良くなれた歴史があっただろうか?
――「誤りは誤り」とは、きっとそういうことなのであろう。
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